吉本ばなな 心の風とおし

 今までどれだけの物件を見てきただろう。家も何軒か買い、もちろん失敗もいろいろした。

 その全てを振り返ってただ思うことは、不動産屋さんの案内が始まるその瞬間から、人生に一度しかない、大変だけれどすばらしいドラマがスタートするということだ。

 お墓の脇にある上に御影石でできた物件を暗い夕暮れに見て、怖さのあまり全員でくっついて部屋をめぐり、絶対ダメだとわかり合いすぎてしまい、ついに不動産屋さんと同時に吹き出して笑いころげてしまったこと。

 引っ越し屋さんがうっかり壊した壁を直してくれた職人さんといっしょに、熱いコーヒーを飲みながら、仕上がりのすばらしさと美しいできばえをほれぼれと眺めたこと。

 まもなく開店する友だちの店の新しいベンチに座り、これから来るだろうお客さんが幸せにごはんを食べることを楽しみに想像したこと。

 心地よい場所では、初めの瞬間から積み重なってきたそんなきれいな想いのつぶつぶが集まって、空間を満たしているように思う。そこに吹く爽やかな風は力をくれる。

 そんな全ては人の心から始まり、心が創っているのだ。

吉本ばなな 心の風とおし
吉本ばななprofile

吉本 ばなな Yoshimoto Banana

一九六四年東京都生まれ。『キッチン』で海燕新人文学賞を受賞し、デビュー『TUGUMI』で山本周五郎賞『アムリタ』で紫式部文学賞『不倫と南米』でドゥマゴ文学賞を受賞。著著は世界各国で訳されている。他の著書に『鳥たち『サーカスナイト『ふなふな船橋』などがある。